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建築事務所探訪

vol.

08

東京 / 日本橋人形町

高橋堅建築設計事務所

今に続く、
ロンシャンでの空間体験

2019.01.31更新

 

今回の建築事務所探訪は、日本橋人形町にある高橋堅建築設計事務所です。人形町はかつて江戸の中心として賑わった日本橋地区にある粋な下町。事務所がある東側エリアは花街としても栄えた場所で、現在でもその名残が多く残っています。歴史が息づくエリアに事務所を構え、幅広い仕事を手掛ける高橋堅さんに、これまでの事務所遍歴、そして建築家として思い描く未来について伺いました。inquiry_post08_01

建築家を志したキッカケを教えていただけますか?

実を言うと高校生ぐらいまでは、映画を撮りたいと思っていました。母方の祖父が松竹の映画監督だった渋谷実で、その影響が大きかったのだと思います。実家は藤沢市の鵠沼というところにあり、松竹大船撮影所にも近いため、昔から映画関係者が多く住んでいたんですよね。幼稚園から高校までの級友に大島渚の子息である大島新(映画監督/映像ディレクター)がいたりした環境も手伝って、子供の頃から本当に漠然とではあるのですが映画を撮る仕事を思い描いていました。(下の写真は渋谷実「好人好日」(1961)での笠智衆と岩下志麻)

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中学生の頃からは、アーバンデザインの仕事をしていた父親に連れられて海外を巡るようにもなるのですが、その土地土地に建つ建物の個性的な有り様を見るうちに、建築にもとても魅力を感じるようになっていきました。高校三年間はほとんどラグビーしかしていなかったのですが、文系なら映画、理系なら建築にしようといういい加減な進路方針を定め、結局は建築を専攻することになりました。
大学に入ると今度は一人で海外をあちこち見て廻るようになるのですが、ル・コルビュジエが設計した「ロンシャンの礼拝堂」に大きな衝撃を受けました。空間を体験して身体中に電流が走るように感じたのは、モダニズム建築ではこの時が初めてのことでした。造形的な魅力はもちろんのこと、内部空間の光のあり方、細部から浮かび上がってくる物語性に一気に引き込まれました。そして「こうした体験を生み出す空間を自分も作りたい!」と強く思ってしまったのです。結局このときの空間体験こそが、今の今まで性懲りもなく私を建築に向かわせているのだと思います。

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日本で大学院を修了した後、ニューヨークにあるコロンビア大学大学院に進学しました。当時はバーナード・チュミが建築学部のディーンを務めていた時代で、コロンビア大学自体がとても盛り上がっている黄金期だったんです。ケネス・フランプトンにモダニズムを教わりながら、設計スタジオではそれを打ち壊していくという、贅沢な理論と実践。寝ても覚めても建築、建築、建築の日々でしたね。まわりもジムでトレーニングをしながら本を読んでいるような連中ばかりで、刺激的な環境の中で濃密な時間を過ごすことができました。(下の写真はK・フランプトンによる論考チェック)

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コロンビアの大学院修了後は、青木淳さんに師事することになりました。公共建築や「B」という住宅など、様々な案件に携わらせて頂きました。(下の写真は「B」)

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最後に担当したのはギャラリー間での青木さんの展覧会。実際の展示では3分のムービーを5本つくり、各々の映像を独立させて流しながらも所々でシンクロさせて大きな画面をつくるという、当時としてはとてもチャレンジングな作業に挑戦させてもらえました。空気圧を調整できる車輪のついた三脚を自作して車載し、新潟にある潟博物館から熊本の馬見原橋まで延々と撮影行脚。その間事務所には一切戻りませんでした笑。事務所に戻ってからは延々と編集作業です。コンマ5秒単位の巨大なタイムテーブルを作成し、部分と全体の流れを徹底的に作り込んでいくなかで、映像と建築の本質的な差異やその類似性について図らずとも深く考えさせられましたね。たとえばル・コルビュジエが動的な「建築的プロムナード」と静的な「トラセ・レギュラトゥール」を並行させて追求していた理由も、動画と静止画を延々と操作していると、すっと分かったような気分になりました。夜中に無心で作業しているときにこそ思いつく見立ては、いつだってとても楽しいものですよね?笑

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展覧会に合わせて発売された「Atmospherics」という叢書編集も担当したのですが、グラフィックデザイン界の雄、田中一光さんと仕事が出来たのは余得でした。青木さんの事務所には結局4年弱在籍し、その後独立することになります。

独立してからの事務所遍歴を教えてください。

30歳で独立して最初の仕事場は池袋でした。初めて受注したクリニックの設計やプロダクトデザインの仕事をしていく中で、徐々に住宅の案件などをいただけるようになっていました。そして母校からの「東京理科大学コミュニケーション棟」設計依頼を機に、もう少し大きな仕事場を構えようと新しい事務所を探し始めました。非常勤講師を務めていた東京理科大学からアクセスのよい秋葉原や神田あたりに目星をつけ、とにかく歩き回る日々。そこで見つけたのが神田岩本町にあった旧事務所なんです。
岩本町は繊維の問屋街として歴史を重ねてきた街でしたが、私が事務所を探していた2000年代初頭には既に繊維は完全に斜陽となっており、千代田区にありながら時の流れが止まった空白地帯のようになっていました。そんな空き部屋が目立つ古ぼけたビル群の中を歩いていた時、一軒のビルに一目惚れしたんですよね。繊維問屋が使っていた5階建ての自社ビルで、各フロアは70平米に予備室が15平米、天井高も3メートル強で実にゆったりした空間だったんです。賃貸には出ていなかったのでオーナーと粘り強く交渉し、最終的に裁断室として使っていた1フロアを定期借家で借りることが出来ました。「探偵物語」に出てくるような古いビルで、剥き出しのダムウェイターが上下する緊張感のある空間でしたね。

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裁断室には布を裁断するために使う長さ3.6メートルの巨大なテーブルが残されており、引っ越しした最初の夜は、疲れ果ててその上で眠ってしまいました笑。このテーブルはその後譲っていただいて、今も大切に使っています。私が設計した建築は、ほとんどがこの机の上で生まれたと言っても過言ではないので、とても愛着があるんです。岩本町の事務所は建物の老朽化による建て壊しが決まるまで、結局13年間使わせて頂きました。その間作った模型が6000個以上。スペースがたくさんあったので全部保管していたのですが、引越を機に最終模型以外全て処分してしまいました。最後に主だった模型を並べて記念に撮ったのがこの写真です。

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岩本町の事務所で唯一気に入ってなかったのは近くに飲食店が少ないこと。神田や人形町が近いので、歩いて色々な所に行けはするのですが、岩本町自体には何もない。だから次の事務所はなるべくお気に入りのお店の多い地域というのが条件で、当時から良く行く店の多かった賑やかな人形町に移ってきました。2015年のことでした。

この事務所に来て一番印象に残っていることは何ですか?

印象に残っているというか引越で一番大変だったのは、まさにこの3.6メートルのテーブルの搬入ですね。先程も言ったようにこのテーブルにはとても愛着があったので退去時に譲ってもらい、新しい事務所に何が何でも運び込むつもりでいました。今の事務所は3階にあるのですが、大きすぎて階段からは入れられない。最初は便利屋を雇って、隣のビルの階段室から引っ張り上げようとしたのですが、あまりの重さに彼らが途中で逃げてしまって。降ろすのも大変でしたが引っ張り上げるのはさらに大変で、これは人力では無理だと諦めて、ユニック (クレーン付きトラック)を使ってバルコニーから入れました。他の机も合わせて一時間程度で終わりましたよ笑。この記事の一枚目の写真は、机だけを搬入し終わった時の写真です。事務所の雰囲気に以前ほどの味わい深さはなくなってしまいましたけど、人形町の方がやはり街として数段居心地が良いですね。飲食店も歴史のある名店が多いなか、新陳代謝も適度にあって飽きません。今回、本当に事務所の話ばかりで仕事の話を全然していないですね笑。

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これからのビジョンについて教えてください。

これからのビジョンというより、建築家として大切にしていきたいことは、今までもこれからもあまり変わりませんね。2000年の事務所設立から20年近く経ち、経験値も幾許かは上がったとは思うのですが、それに奢ることなく、常に物事を真摯に見定めていきたいと思っています。

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施主の要望にどこまで応えていけるかを第一に考えながらも、施工者/設計者を含め皆が幸せになれるような関係を築くことが理想だと考えています。「想像もしていなかったけれど、確かにこれだ」と、クライアントに納得してもらえる空間をつくること。これが建築家に求められていることだと思いますし、建築の醍醐味の一つであると思います。もちろん共同住宅などは、事業性が求められるビルディングタイプでもあるのですが、人が幸せでいられる空間かどうかということが、長いスパンで見ればやはり重要になってくるでしょう。ル・コルビュジエの「ロンシャンの礼拝堂」を見た時に感じた「こんな建築を自分も作りたい!」という思いはもちろん未だに変わっていません。ただそこに、建築の空間性だけではなく、求められた要望に対して誠実に対応しつつ、それ以上の応答をするという建築家の立ち振る舞いを見て取れるようになりました。そこだけが学生時代から僅かばかり進歩したところなのかもしれませんね笑。建築はいまだに分からないことだらけなので、楽しみながら日々学んでいきたいと思っています。

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高橋 堅Ken Takahashi

一級建築士
1969年
東京都生まれ/神奈川県藤沢市出身
1988年
神奈川県立湘南高等学校 卒業
1993年
東京理科大学理工学部建築学科 卒業
1995年
東京理科大学大学院理工学研究科建築学専攻
修士課程 修了
1996年
コロンビア大学建築都市修景学部
大学院 修了
1997年
青木淳建築計画事務所 入所(~2000年)
2000年
高橋堅建築設計事務所 設立
2000年
京都造形芸術大学 非常勤講師(現在)
2002年
東京理科大学 非常勤講師(現在)
2015年
昭和女子大学 非常勤講師(現在)