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建築事務所探訪

vol.

06

東京 / 西早稲田

AKIO YACHIDA / WORKSHOP

生活を楽しみ、
新しい空間をつくる。

2017.08.17更新

デザイナーズマンションの第一人者として、数多くの集合住宅を世に発表してきた谷内田章夫さん。その建築事務所「谷内田章夫/ワークショップ」があるのは、東京・西早稲田。学生街として知られる街ですが、地域には住宅も増えており、昼間も夜間も人口の多い街となっています。2 0 0 5 年に生産環境を変えるためにこの地へ越してきてから12年、事務所としての集合住宅100棟目が今まさに計画進行中という谷内田さんに、集合住宅建築の極意を伺いました。

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建築家を志したキッカケを教えていただけますか?

私が小学生だったのは1 9 6 0 年頃。乗り物が好きな子供で、当時暮らしていた千歳船橋からバスや電車、都電に乗ってふらふらと都心部に出歩いてくることが大好きでした。
もちろん、当時から建築に興味があったわけではありませんが、いろいろな建物や空間に出会いました。今振り返ってみると、近所にあった世田谷区役所・区民会館や紀伊国屋書店、東京文化会館など、(のちになって知ったことですが)前川國男建築が記憶に残っています。街中に佇む姿と、建物の中に広がる壮大な空間に心を奪われました。東京オリンピック( 1 9 6 4 年)があったのが中学一年生の時だったので、駒沢オリンピック公園のモニュメントも印象深いし、代々木体育館のプールにも行きました。あの時代の東京に 暮らす中で、自然とプライマリーな建築体験をすることができていたのかもしれませんね。

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なんとなくの憧れから、職業として意識するようになったのは高校三年生の時。70年安保の学生運動が最高潮の頃で、私自身は部活のサッカーに夢中でしたが、高校にも活動家がいて、そうした環境の中でこの先自分はどうやって社会と関わっていくべきか考えるようになりました。「社会的な存在でありたいが、大きな組織に入るとその論理に巻き込まれてしまう。独立した価値観をもちながら生活していける職業はなんだろう」と考え、候補に挙げていたいくつかの職業の中から建築の道を目指しました。

事務所設立のきっかけを教えてください。

大学に入ってすぐ、のちに「ワークショップ」を共同主宰する北山恒さん、木下道郎さんたちと仲良くなりました。本当に設計の道に建築に進もうと思ったのは、丹下健三さんの設計事務所( U R T E C )でのアルバイト経験が大きかったように思います。丹下事務所は、当時はその頃人気の出始めた原宿の中心にあり、外国人のスタッフがいたり、アルバイトの人も多く、とても賑やかでした。20代のスタッフの人達が生き生きと働いていたり、建築が世の中に関わっているリアリティを感じることができました。建築の本当の意味での楽しさを感じる原体験となり、その後、様々な設計事務所を巡るようになりました。

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その後、大学院在籍のキャリアで一級建築士を取得し、オイルショック後の不景気の中でしたが、大学院修了と同時に北山さん、木下さんと「ワークショップ」を開設。最初は、友人の父親の家など住宅を手がけていましたが、時代がバブルを迎えると、展覧会を開いたり、雑誌に発表したりするようになり、集合住宅、オフィス、商業施設などいろいろな案件を手がけるようになりました。そんなバブルの勢いも落ち着いた1 9 9 5 年、4 5 歳の時、自分の事務所「谷内田章夫/ワークショップ」を設立、以降集合住宅中心に活動するようになりました。

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これまでの事務所遍歴を教えていただけますか?

事務所遍歴といっても、独立してから事務所はまだ2ヶ所目なのですが…。(笑)1996年頃までは、六本木の「ワークショップ」内で各々の仕事場を設けていましたが、1997年末に沼袋の自作の集合住宅『TRINITÉ』に移転しました。天井が高く、オフィスとしてとても気に入っていましたが、閑静な住宅街だったため、落ち着いて仕事に取り組める反面、賑わいに欠いた環境とも言えました。次第に家と職場の往復だけでは刺激がないと感じるようになり、移転を検討するようになり、2005年に現在の西早稲田に移ってきました。こ こも自作で、移転に伴って賃貸集合住宅として建て、大口の借主として家賃保証のような形で入居しました。西早稲田は、都心に近くて便利ですし、学生、若者が多く、昼間、夜間を通して賑やかな街で気に入っています。何より、留学生など海外の方も多く暮らしているせいか、駅前にはタイ料理、スリランカ料理など国籍豊かな飲食店が集まっていて、食べるのが好きな私にとっては最高な環境です。(笑)

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事務所で気に入っているポイントを教えていただけますか?

事務所は、「日頃使っているデザインボキャブラリーを使い、所員・建設業者・クライアントに体感してもらうこと」を意識しています。どういうことかというと、例えば、私自身が集合住宅でよく取り入れているように、この事務所もスキップフロアで3層吹き抜け空間をつなげています。グレーチングの階段やRC打ち放し、シナ合板、スプルス、黒皮鉄板、亜鉛溶融メッキなどの素材も私たちが快適な空間を作るのに欠かせないものばかりです。他にも、空間をつなげたり、仕切れる動く壁や、事務所内の壁面に300以上もついたグリッド状の棚、自作の照明器具や光るテーブルなどの備品、大きな開口部、自然採光、自然換気などなど、挙げればきりがないですが、この事務所の全てが私たちらしい設計を再現している場となっているのです。

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現在スタッフ数は、5 名ですが、スペースをシェアしている事務所OB・OGが 2名、仕事を委託しているO B・O G が 2 名、さらに常勤のアルバイトスタッフが1名。アルバイトスタッフ以外は全員一級建築士の集合住宅のエキスパートです。そんな合計約1 0 人が出入りしています。また、OB・OGを含めた所内の仲間と友人を集めてよくパーティーをします。また、友人の建築家を読んでスライドレクチュアもたまに事務所内でやっています。休日はスポーツ好きのスタッフとフットサルの大会に参加したり( 先日、設計関係6チームの大会で優勝しました!)、月1回テニスをしたり、フルマラソンに参加したりと、常に体は動かしています。(特に私は)最近、全員ジムの法人会員にもなりました。
一緒に働く仲間ですから、そうした日々のコミュニケーションを大切にするとともに、自分たち自身も思いっきり生活を楽しむことから新しい発想が生まれていくのかなと考えています。

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集合住宅をつくる上で大切にしていることを教えてください。

お話をいただいて、まず最初に考えるのは「入居者の方の居心地の良さ」です。それを追求することが何より建物の魅力を高めるものだと考えています。そして、その「居心地の良さ」のために大切なのが、自然光、通風、収納量、フレキシビリティなど住宅のベーシックな性能です。
私の場合、都市の限られた空間の中において、「高さの変化による空間性」こそ、住宅の基本性能の実現に他にない影響力を与えるものだと思っています。そのため、メゾネットにしたり、ロフト+吹き抜けによる立体的な居住空間を創出し、面積以上の広さと機能性と開放感が確保できるように工夫しています。
あとは、事業性を考えて、快適な空間をいかにコストをかけずにつくっていくかということを追求したり、汚れが目立たず手入れもなるべく手間がかからないというのも大事ですよね。

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最後に今後のビジョンについて教えてください。

今計画している建物で2年後に完成のものが、集合住宅として、おおよそ100棟になるので、それらをまとめていければなと思っています。
ユニットプラン、集合形式などの分類や進化のプロセスをヴィジュアルも含めて検討して、それらをさらに事務所として継承し、発展させながら、活動を続けていければと考えています。
建築としては、これまでのように入居者の方の居心地の良さをもっと追求していきたいという思いとともに、楽しく暮らせる環境として集合住宅の中のコモンスペースであったり、街や地域とのつながりを感じられる空間の広がりであったり、ということを追求していければと思います。

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谷内田 章夫Akio Yachida

一級建築士
1975年
横浜国立大学工学部建築学科卒業
1978年
東京大学大学院建築学科専門修士課程修了
同年 北山恒、木下道郎と共同でワークショップ設立
1995年
谷内田章夫/ワークショップ設立 主宰