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建築事務所探訪

vol.

09

東京 / 中央区日本橋

有限会社ICU一級建築設計事務所

考えることはつくること

2019.05.31更新

今回は日本橋小伝馬町にあるICU一級建築士事務所にお伺いしました。日本を代表する建築家・安藤忠雄さんのもとで学び、独立後は様々なプロジェクトで受賞してこられた長田直之さん。 そんな長田さんが描く新たな建築のかたちとは?これまでのバックグラウンドをお話いただきながら、建築家として目指すこれからについてお伺いしました。

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建築家を志したキッカケを教えていただけますか?

小学校6年生の時に修学旅行で京都に行ったんです。そこで大谷幸夫さんの京都国際会館を見て建築家になろうと決めました。
それまでも父がゼネコンの現場監督をしていたので比較的、建築には近い環境にはいましたが、その時流れていたビデオがあまりにかっこよくて。建築家がスーツ着て、模型作って、模型を覗き込んで。「あぁ、これしかないなぁ。」と思いました。

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中学では卓球部に入って、それが結構うまかったんですよね。卓球で食べていくのもありかなぁと思った時期もありましたが、父に相談したら「高校は普通に行け」と言われ、そこから仕方なく受験勉強を始めて高校に入学。 高校卒業後、大学では建築を専攻しました。大学1年生の時に住宅を実測するという課題で、小篠邸という安藤忠雄さんが設計した住宅を実測することにしました。当初は建物の外からならいいですよということだったんですが、現地に行ったらたまたま雪がだーっと降ってきて、あたりはもう真っ白で、そしたら家政婦さんが可哀想に思ったのか建物の中に入れてくれたんです。中に入って驚きましたね。「こんな住宅あるんかー!これはすごい!」って。それで「これはもう安藤事務所に行くしかない。」って。そこで完全に決まっちゃったんですよね。人生簡単ですね。笑

現在に至るまでの経緯を教えて下さい。

大学2年生から安藤事務所に出入りしていました。大学4年生の時はまるまる事務所にいるという感じで、大学にはほとんど行ってなかったですね。ゼミが火曜にあったので、月曜と火曜だけは事務所にお休みをもらって、月曜に福井に帰って、夜は家庭教師のアルバイト、火曜ゼミが終わったらそのまま事務所のある大阪にもどるという生活でした。卒業して正式に安藤事務所に就職した後はサントリーミュージアムや熊本の装飾古墳館などを担当しました。安藤事務所で4年間勤めた後、独立しICUを設立。初めてのプロジェクトが長野県の別荘で、それをSDレビューに出しました。SDレビューは憧れだったんですよ、若手の登竜門的なね。そしたらそれが通って。それが26か27歳くらいの時ですね。それから気が付くと25年経ったという感じです。

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大阪から東京に事務所を移したのはどのタイミングですか?また事務所に関してこだわっていることはありますか?

大阪から東京に事務所を移したのは8年前ですね。ちょうど3.11の震災の後でした。だけど2004年に東京でのコンペを取っていたので、東京の仕事を始めたのは2004年から。拠点を移したのは2011年4月。それからはずっと東京でやっているんですけど、いまだに関西の人だと思われているところがあって。なぜでしょうね。笑
大阪の事務所は安さと安藤事務所が近いことが気に入って決めました。探偵が住んでるんじゃないかというような建物で、一番上には自称発明家の仙人みたいな人が住んでいましたね。笑 街の雰囲気は日本橋とかに近い感じ。

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今の事務所は特になにかがすごくおしゃれとかでもなく、極めて普通ですね。北側を向いていて、大きく窓が開いているので光を取り入れられる。テラスがあるのもいい。ただそこに建築家としての妙なこだわりはないんですよ。建築をつくる時は考え方が大事だと思っていて、デザインは当然なんだけどその前にどうやってモノを考えるかっていうことがすごく大切な気がしているんです。例えば事務所の棚を綺麗に作ったっていいんですけど、「所詮、棚でしょ。」と思うわけ。ファイルを入れるだけでしょと。だから棚は普通のスチールラックで、そこに書籍をAからZの順番で並べているだけ。あとはプロジェクトファイルと事務所の資料はBOXを色分けして保管しています。実務的な事務所なんですよ。あえて言うなら、こだわっていないことがこだわりでしょうか。

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以前、「1問1答」にお答えいただいた時、「建築家として大切にしていることは?」という質問に「消費されないこと」と回答されていますが、これはどういう意味なのでしょう? ※「1問1答」はこちら

世の中って価値が先に決まっていて、この価値のために何ができるかということを問われているじゃないですか。先にゴールが設定されていて、そのゴールにどれだけ近づけたかによって頑張ったねとか頑張ってないねとかって言われますよね。それってすごく自分のことを消費されている気がしていて。その先に行きたいんですよ。プロジェクトをやることによって何かを生み出したいんですよね。消費されたくないっていうのはそういう意味ですね。消費されるのではなくて、新しい価値を提案したい、つくっていたいという気持ちが強いんです。

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もう一つ「1問1答」から。「建築家になって最も印象に残っているできごとは、フィレンツェでの1年間の生活」と回答されています。フィレンツェでの生活を詳しく教えて下さい。 ※「1問1答」はこちら

朝起きてバールに行って、「えー?アメリカーノ?エスプレッソじゃなくて?」といういじわるを言われながらアメリカンコーヒーを飲む。その場にいる地元の普通の人たちと話して。イタリア語ができるようになったのは、ほぼバールのおかげです。大学の授業はいつも教室の外。歴史的な建物に現地集合で、教授はノー原稿ノースライドで2時間くらいひたすらしゃべって颯爽と帰っていく。友達とランチしたり、昼から飲んでみたり、夕方には趣味の水泳をやって。帰りは晩御飯の食材をマーケットで買って自炊をしていました。日本のようなスーパーマーケットではなく、肉は肉屋のマルコ、魚は魚屋のジョバンナと話をして、それぞれの材料をそろえていくみたいなかたち。料理の仕方を聞けば丁寧に説明してくれていましたね。最後にワイン屋さんに行ってメニューに合わせたワインを買って、それを飲みながら料理を作っていました。
それが一年くらい続くと、「生活」というか「暮らし」というか、そういったものをつかんでいけた。掃除もするし、洗濯もするし、とても普通のことで日本でもしていたんだろうけど、ひどいやり方しかしてなかったんでしょう。そういうことをちゃんとやって、丁寧に暮らすということのちょっと入口くらいのことをできる時間がフィレンツェではあったので、それは大事な経験だったと思います。

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あのままフィレンツェに行かなかったら嫌な建築家になっていた。消費される建築家に。フィレンツェでの1年間の暮らしは本当に良かったですね。その経験がその後の建築にすごく生きていると思います。根本的な考え方が変わった。うまくいかないことも失敗することもあるということに対する寛容さを学んだ気がしますね。例えば、トイレ。流れないんですよ。笑 築400年のアパートで、2週間に1回くらいトイレが溢れるんです。暮らし始めた頃に大家に「ふざけんな!」と言ったら逆ギレされて。「あなたが住んでいるのはフィレンツェだよ。そこは400年前に建てられた建物で、トイレは後からつけたんだ。当たり前だ、流れなくて。」と言われて水道屋に直してもらえと紹介されて。最初こそ大変でしたが、だんだんトイレの音を聞いて「あれ?そろそろくる。やばい。」と分かるようになってくるんです。じゃあそろそろ水道屋呼ぶかとなって、するとだんだん溢れさせる頻度が減ってくるんです。そこで「なんだ。これでいいよな。」って思ったんですよね。常に100%じゃなくったっていい。ポンコツなトイレかもしれないけど、ポンコツはポンコツとして分かってあげて、やばいと思ったらそこで直せばいい。もし最悪溢れたって死ぬわけじゃない。掃除すればいいだけ。世の中が求めるゴールに達しなくても別に悪いことじゃないと思うようになった。フィレンツェは「暮らし」と「寛容さ」を教えてくれた場所でしたね。

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今後のビジョンを教えてください。

考える仕事がしたいです。もう設計を頼まれてただ作ればいいという時代ではないと思います。量よりも、考えることによって生み出される質が求められる時代になっている。建築家って答えを出したらそれで終わりではなくて、いつも「これで本当に大丈夫なのか?」「もっといい答えはないのか?」ということをずっと考える仕事なので、その意味で僕たちが出来ることがあればいいなと最近強く思うようになってきました。モノを綺麗に造れるとか完璧なモノを造れるとかいうことはあるんだけど、そのもっと先にある新しい価値をつくりたいと思っています。新しい建物を造るということと同時に、その建物が新しい価値をつくっていくということがすごく大事で、それがこれからやらなければならない仕事かなというふうに思っているし、そういうことをするのが意外と自分は得意なのかもしれないなとも感じています。ただ建物を造るとか、何部屋申込みが入ったとかだけじゃなくて、その先をどうやって考えられるかということが面白いなと思っていますね。そうやって考えていくと、最近興味があるのが単体の建築だけじゃなくて都市とか街みたいなもの。さらにはその外側にいけるかもしれない気がしていて。自分の部屋のインテリアをすっごく綺麗にしても幸せなんだけど、その部屋から出たら汚い街があるっていうのはどうなんだろうと思うんですよ。それだったら自分の部屋は普通でも一歩出た時にすごく綺麗な街がある、これだって価値じゃないですか。建築家はそちら側の価値を求めていかなきゃいけない。単体の建築も大事だけど都市のこと、もう少し広い社会のこと、誰かのことをサポートできるようなものをつくっていく。誰かのためにある建築、自分のためにない建築っていうのを考えていきたいと思っています。

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長田直之Naoyuki Nagata

一級建築士
1990年
福井大学工学部建築学科卒業
1990年
安藤忠雄建築研究所
1994年
ICU一級建築士事務所共同設立
2002年
文化庁新進芸術家海外留学制度研修により
フィレンツェ大学留学(ルネッサンスの建築原理について)
2005年
有限会社ICU一級建築士事務所に改組
東京オフィスを開設
2008年
奈良女子大学住環境学科准教授に着任