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建築事務所探訪

vol.

10

東京 / 台東区東上野

河野有悟建築計画室

個別解を追及する

2020.01.06更新

今回、お伺いしたのは河野有悟建築計画室。河野さん自らが設計した「東京松屋UNITY」の中にその事務所はありました。「江戸からかみ」の文化・技法継承をコンセプトに作られた伝統と現代を融合させた空間で河野さんが建築家になったきっかけから理想とするものづくりのかたちまでをじっくりと語っていただきました。

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建築家になったキッカケを教えてください。

高校生の時に進路を決めるという段階になった時に、ものづくりをやりたいなと思ったんです。なにかかたちとして残るものを作れたらいい。特に生活に密着した衣食住に関わるような、身近なものを作りたいと思いました。そうやって考えていくうちに建築というのは人が作るもののなかで、動かせないものっていうのか、車や家具は運べるけど、建築っていうのは一度つくると簡単には動かすことができないし、ともすると自分の人生よりも長く残るもの。そういう存在感に魅力を感じて、建築をやりたいと思うようになりました。

大学は武蔵野美術大学の建築学科に進みました。父も建築設計をしていたので、家には建築の本がいっぱいあって、いろんな建築家のプロフィールを見ていたんです。そうすると日本では建築学科って工学部にあることが多いのですが、海外では美術の環境の中に多くあるということが分かってきました。当時いろいろな建築の作品集を見ていると、エンジニアリングに裏付けされた建築のもつ造形や空間性に魅力を強く感じていたので、その双方を身に着けられる環境として、美大の建築学科に行きたいと思うようになりました。高校生のころは、運動部に所属し、どちらかというと体育会系で、部の先輩には国体に出ていたり日本代表の人がいたりして、私が美大を目指すといったときは周りは少し驚いていましたが、建築家になりたいという思いから、心機一転、これまでのエネルギーを美術の勉強、トレーニングにも向けていきました。その時に描いた絵は美術予備校の冊子に載せてもらったりもしていて、とても励みになったことを覚えています。
そして、美術には今も興味をもっていますが、建築設計には敷地の条件や要望によって毎回違う建物ができる面白さがあります。一つ一つの仕事に真摯(しんし)に向き合うことで、意図的に個性を出さずとも生まれるもの、それが建築にとっての作品性となるのではないかと思っています。

現在の事務所の設立の経緯を教えて下さい。

大学を卒業した後、早川邦彦さんの事務所に勤めました。大学に入る前から早川さんの作品をよく見ていました。講師でこられていたので学生時代は設計課題を通して学び、その後、早川さんの事務所で所員として経験を積んだ後に、母校の武蔵野美術大学で助手を勤めました。その間に出会った方々とのつながりで、その中で建築家としての仕事を始めることができました。
独立後は並行して非常勤講師となり、早川さんと同じ課題を担当させていただく機会を得ました。自分が大学生の時に出ていた課題があるんですが、その課題ずっと続いていたんですね。だから学生としてその課題を早川さんに見てもらって、やがて助手になってその課題に取り組む学生と先生の間を取り持って。さらに自分が先生になって、かつて自分が教わった先生と並んでその課題を見ることができた。学生の立場、事務所に在籍して所員の立場、助手の立場、先生としての立場。成長の過程で、その節目にはずっと早川さんにお世話になりました。そうしたご縁をはじめ、この間に様々な方々を通して、街や人に対する眼差し、環境設計や構造設計についての向き合い方など、建築家として大切なものを学ばせていただきました。
そして、独立当初に「東京松屋UNITY」の設計をする機会を得ました。それが実績となって事務所を軌道に乗せていく大きな一歩になりました。この仕事もご縁があって、助手の最後の年に、彫刻家の土屋公雄さんが研究室にいた僕に東京空襲の犠牲者を追悼するモニュメントのプロジェクトに協力してもらえないかと声をかけてくださって参加していました。そのときに東京松屋さんが社屋の建替えを検討されていました。それまでは東京松屋さんの建物は古い木造のもので、戦争や震災で幾度も消失していました。今回の建て替えの時には、次の世代に引き継ぐ建物としてどうすべきかと思案されていて、若かったけれど、東京空襲モニュメントのプロジェクトに関わっていたことが、依頼を決めていただく一つのきっかけになったのだと思います。
こうした貴重な縁と経験の中から、デザインや美術など様々な分野のモノづくりがある中で、特に建築はチームでつくり上げるものだという思いにいたりました。施主や設計スタッフ、施工者などと対話を重ねて、立地や諸条件を考慮しながら利用者や生活者の立場に立ってそれを設計に結びつける。それが建築家の役割なのだと思うようになりました。

事務所で気に入っているポイントを教えて下さい。

ここは「東京松屋UNITY」の中にあるメゾネットタイプの部屋の一つ。集合住宅の住戸は戸建住宅ともまた違う使い方が考えられると思うんです。その一つとして、例えばメゾネットタイプにすると二つのエントランスがつくることができます。上下階にそれぞれエントランスを設けているんです。住戸のある部分は引戸で部屋をつなげたり分けたりすることもできます。僕たちがご提案した集合住宅の一つのユニットに対して様々な使い方の可能性を、自分たちの事務所として使うことで示せているのではないかなと思っています。

今後のビジョン、やってみたいことがあれば教えて下さい。

建築の設計事務所はたいていは「どういうビルディングタイプを造っているか。」ということに注目されがちなんですが、でも建築家ができることって実は設計だけじゃなくて、プロジェクトのスタート段階から、リノベーションをやる方もいるので再生のところまで考えると、広い時間のところをいろんなかたちでサポートできると思っています。我々はできるだけプロジェクトスタートの手前から関われたらいいなと思っています。今の街はすでに古い建物があるところからスタートすることが程んどだと思います。そこからどうするのか、既にもうものづくりは始まっているなって感じがするんです。多くの場合は、例えば「この土地を売って、新しい土地が決まったので二世帯で住みます、予算も要望も決まったので設計事務所探します」っていうプロセスだと思うんです。そうすると、大きい判断をする時に建築家がいないっていうことなんです。
「ここで建て替えたらどうなるのか?」「家族がいて、ひとつの敷地を分け合うにはどういうやり方があるのか?」「一部を売却して残ったところに建てるのか?」「全部を売却してリロケーションするのか?」
これって将来どうするかという一番重要なところに建築家がいないことで、選択肢それぞれの可能性が広げられない。それが、もったいないし、さみしいなぁと感じているんです。重要な決定がなされるプロセスに僕たちがいて、それじゃあ設計でこういう建物にしましょうかということになる、一本の線が繋がって、そうやって完成した時はとても充実感があります。その土地とその人のことを考えて組み立てていくと、必ず独自のものが見つかる。それが見つかった時に「このプロジェクトは良い方向にいったな。」とぐっとくる感動があるんです。

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その場所と人との対話とプロセスから発想してものづくりをします、というのが僕のテーマの一つなんです。その土地と人にとっての解答を見つける、一般解ではなく個別解を掘り下げたいを思っています。それをずっと掘り下げていると、なかには他の人も参考になるような今はない未来の選択肢みたいなものが生まれてくるんじゃないかなって。今まではAとBしか選択肢がなかったけど、個別解を掘り下げていたらCという選択肢が生まれて、そうするとCは新しい選択肢となって時を超えて、後々にも残っていく。設計活動をしている間にそういうものを一つでも二つでも残せたら嬉しい。これが建築を志した時に「長く残るものをつくろう」と思って始めた建築の自分の今のところの答えだと考えています。

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河野 有悟Hugo Kohno

一級建築士
1969年
東京生まれ
1995年
武蔵野美術大学造形学部建築学科
1995年
早川邦彦建築研究室
1998年
武蔵野美術大学建築学科研究室 助手
2002年
河野有悟建築計画室設立
2003年
武蔵野美術大学 非常勤講師
2011年
東京電機大学建築学科 非常勤講師